カフェイン抜きのコーヒー

日々読んだ本の書評をしていくブログです

『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))』Peter F. Drucker 著, 上田 惇生 訳

 

社会とマネジメントを組み合わせた「マネジメントの父」。この本は著書とドラッカーが共著で執筆をした『ドラッカーマネジメント読本』『ドラッカー社会論読本』の二冊をわかりやすいようにまとめたものだ。

なので、文章も平易で読みやすい。本の最後にも各章がドラッカーのどこの著作から引用したのかが記載されており、自分が興味を持った著作を掘り下げられる内容となっている。

 

そもそもなぜドラッカーはマネジメントが必要だと説いたのであろうか。

 

彼は、それを紐解くために各時代の転換期で生じている歴史的な革命を分析している。

 

西洋では数百年に一度、際立った転換が起こる。

 

当時、ヨーロッパ社会は、ほとんど一夜にして都市中心の社会となった。社会勢力としてギルドが登場し、遠距離貿易が復活した。3頁

 

 

この転換はなにも経済の世界だけではない。

 

芸術的や文化的、学術的な転換も起きた。

都市的な新しい建築としてゴシック様式が興った。新画派としてシエナ派が興った。知恵の源泉はアリストテレスに移り、文化の中心は、田舎の孤立した修道院から都市の大学に移った。3頁

 

そこから200年。西洋は再び転換期を迎える。

 

グーテンベルグの印刷革命とルターによる宗教改革の間に発生したのだ。

 

1470年から1500年にかけてフィレンツェヴェネツィアにおいて絶頂期を迎えたルネッサンスがあり、古代の再発見があった。アメリカ大陸の発見があり、ローマ軍団以降の初の常備軍となるスペイン歩兵軍団の創設があった。

 

昔からどの時代にも革命的出来事は存在していたのだ。

次の転換はだれもが歴史的に知っている産業革命時、資本主義と共産主義が現れたことだ。

 

しかし、資本主義や、技術革新それ自体がすぐに産業革命として世界的な現象に直結したのではない。

なぜなら資本主義、技術革新という現象や考え方それ自体は産業革命が起こる前にも現れていたからだ。

 

では、産業革命産業革命たらしめたものは何か。

 

それは、知識の意味の変換である。

そもそも1700年頃の知識に関する理論は2つしかなかった。

プラトンの伝える賢人、ソクラテスは、知識の役割は自己認識であるとし、ソクラテスのライバルであった哲人プロタゴラスは、知識の役割は何をいかに言うかを知ることにあるとした。

 

つまり、知識は行為に関わるものではなく、行為に関わり、効用を与えるものは技能と呼ばれていたのだ。

やがて、技能は技術へと変化する。

 

1751年から1772年にかけて編纂された『百科全書』である。

 

『百科全書』の思想は、道具、工程、製品など物質世界における成果は、技能とその体系的応用によって生みだされるとするものだった。『百科全書』は、1つの技能において成果を生む原理は、他の技能においても成果を生むと説いた。その説は、当時の知識人や職人にとっては異端の考えだった。11頁

 

産業革命の第一段階である。 そしてあの悪名高きテイラーの科学的管理法が現れるのだ。

 

しかし、彼がもたらしたのは、知識を仕事の分析に応用することであった。

 

仕事は長い間、教育ある人たち、豊かな人たち、権威ある人たちの注目に値しなかった。それは、奴隷のすることだった。そして、より多くを生産するための唯一の方法は、より長く働かせるか、より激しく働かせることだった。"15頁 

 

こうして、生産性革命が始まる。

テイラーが知識を仕事に適用した数年後、肉体労働者の生産性が年率3,5%ないし4%で伸び始めた。

 

この数字は18年で倍増することを意味した。

その結果、あらゆる先進国において、テイラー以降から今日までに、生産性は約50倍に増加した。

 

50倍とは想像もできないほどの増加である。

 

しかし、この生産性革命はすでに終わっている。 なぜなら、1990年代には労働力人口が5分の1にまで縮小したからだ。

肉体労働者の生産性は限界を迎え、非肉体労働者の生産性をあげる時代へと突入している。

 

このように、産業革命は三段階の知識の適用の転換を組み込んでいる。

道具、工程、製品への知識の適用が第一段階、第二段階としての仕事そのものへの知識の適用を経て、第三段階として知識を知識に適用することが行われ始めたのだ。

 

それはつまり、効用としての知識、社会的、経済的成果を実現するための手段として知識を適用することだった。

ドラッカーはこれをマネジメント革命と名付けた。 マネジメント革命の時代に必要な人材は知識労働者である。

 

それまでの知識は学習できるものではなく経験しか得られず、訓練されて初めて身につく技能とされてきた。 しかし、1990年代から始まったこのマネジメント革命では、知識は高度に専門化されてなければならない。

 

それは体系化された専門知識であり、それを体系づける手段として知識労働者が必要になるのだ。

 

 

ドラッカーの説いた知識労働者の時代からすでに26年が経っている。

しかし、その間に我々が直面していることはIT技術の出現という産業革命以降歴史に残る革命である。

 

そもそもIT革命は他の革命とは違い、将来の予測もできない特別な革命なのであろうか。

 

ドラッカーはこの革命を産業革命と比較することでこの幻想を打ち砕いている。

 

今日ムーアの法則によれば、IT革命の基本材であるマイクロチップは、一年半で半値になっていくという。しかし、産業革命で生産が機械化された製品にも同じことは起こった。面繊維の価格は、一八世紀初めから五〇年で九〇%安くなった。238頁

 

産業革命もIT革命と同様に恐るべきスピードで様々な製品の価格破壊を起こした。 そして、労働者階級という新しい階級を生み出す。

 

わずか四、五〇年の間に、労働者階級が生まれた。239頁

 

しかし、そのような大きなインパクトを与えた産業革命だったが、最初の50年間は製品の生産の機械化だけしかもたらさなかった。

 

それは、大量生産を生み出し、生産コストを押し下げることで大衆消費者と大衆消費財を生み出していったが、産業革命の神髄はここではなかった。

 

やがて、世界の経済と社会、政治を一変させる製品が生まれる。

鉄道の登場だ。

では、IT革命はどうであろうか。

 

今日までのところは、IT革命以前から存在していたもののプロセスを変えてきたにすぎない。実態上は、いささかの変化ももたらしていない。四〇年前に予測された変化は、一つとして起こっていない。大きな意思決定の仕方は変わっていない。IT革命が行ったことは、今日のところ、むかしからあった諸々のプロセスをルーティン化しただけである。242頁

 

確かにIT革命は当初産業革命の最初の50年間と同じプロセスを我々はたどっていたのかもしれない。

Eメールの発明により従来紙のやりとりをしていたプロセスはよりルーティン化され、eコマースは産業革命時代より広範囲の大衆消費者を開拓した。

 

そして、産業革命が段階を追って発展したように、salesforceをはじめとするSaaSのビジネスモデルを代表する会社は仕事を効率化し始めている。